I.H

 摩耶山友会との出合いは4年前の夏山教室である。その時の修了山行が槍ヶ岳とあり、教室は若い人でいっぱいであった。もうすぐ50歳に届く私はついて行けるのか、場違いの所に来てしまったのではないかと思いつつも、ついて行ける所まで行こうと、座学はもちろん、実技も最後の装備分けの時を除いて、一日も休まず出席した。
 実技で忘れられないのはやはり杣谷~鵯越である。炎天下の中、菊水山を下りた下水処理場に着く頃には、放心状態である。
鵯越の駅で大平さんに「ここを歩けたのだから槍ヶ岳に行けるよ。」と言われた時はどんなにうれしかった事だろう。その時飲んだビールの味も忘れられない。
 いつも初心を大事に 一歩一歩前進したい。


 

I.M

  ある日、こんな新聞記事が私の目に留まりました。『夏山登山教室を受講して、北アルプス槍ヶ岳に行きませんか』

 いつの頃から、漠然と山登りをしてみたいなあと思っていた私は、思いきって申し込みました。六甲山での厳しいトレーニングを重ね、会員の方々の優しいサポートや素晴らしい同期生のお陰で、生まれて初めて槍ヶ岳に登頂。生憎の天候で視界は全くなかったのですが、達成した満足感でいっぱいでした。今でも記憶は鮮明です。

 ちょうど子育ても終わり、何かしたいと思っていた時期でもありました。それから岩登り教室、雪山教室を受講して、だんだん山登りが好きになり、装備も少しずつ増えていきました。今年は沢登りに挑戦しました。これがとても楽しくて仕方がありません。時々高山病に悩まされることもあります。そのときは気分が悪くなり、食事をおいしくいただくことができません。しかし、私は自然の中に入っていくことで心が癒され、幸福な気分になり、明日への活力にもつながっています。

 もし摩耶に入会していなかったなら、この4年間一体どんな休日の過ごし方をしていたでしょう。これからも家族の協力を得て、体力の限界を感じつつも、色々な山を楽しみながら登って行きたいと思います。

 

T.I

 登山なんかして何が楽しいの?…僕はよく尋ねられる。「やっぱり頂上に立った時の征服感?…いえいえ、そんな大袈裟な事、思ったことが有りません。そんな時、僕の返答はいつも決まっています。「○○さん、天の川を見た事ある?」と、逆に質問するのです、そして、その返答は…10人、いや100人中99人が『無い…』です。空気は汚れ、夜はネオンがキラキラ!、今の日本において『天の川を見る』というのは山好きの特権とも言えるのではないでしょうか?

 その、天の川。英語ではミルキーウェイと言いますよね。それでは摩耶山友会の皆さんに僕からの質問です。「あなたはミルキーウェイを見た事がありますか?」…えぇ!何が言いたいんだって? そう…僕が言いたいのは「天の川」と「ミルキーウェイ」は別物だと言うことです。

 僕は以前から英語より日本語の響きのほうがどこか哀愁があるなぁ…と思っていました。例えば、別れの挨拶です。「グッバイ」…何か、こう、突き放すような感じです。それに対して、「さようなら」…何と、哀愁のある優しい響きなのでしょう。が、しかし、天の川に関しては、ミルキーウェイの方が合っていると思うのです。

 と、言うのも数年前のある山中で、僕がふと夜空を見上げたとき…、あったのです。そこに「最高の状態の天の川」が…。それは天の川の一粒一粒の星が最高に光り輝き、その星粒達が全てつながって見え、ひとつの光の筋と言うよりは、まるで練乳をトロー…と流したように夜空の端から端へつながって見えているのです。あぁ、だから天の川を英語ではミルキーウェイと言うのかぁ…と、初めて思いました。そして気がつけば日付が変わっていたのです。

 山好きの特権を行使しての僕のミルキーウェイ体験は、それ一度きり。織り姫と彦星の伝説のように一年に一度はこの特権を行使できると良いのですが、なかなか相手も手強いなぁ…と思いつつ、山に想いを寄せる今日、この頃です。

 

O.T

 摩耶山友会における私の原点は、市が原における清掃ハイクです。

 平成元年から山登りを始めたとはいえ、テント泊の経験もなく、まして雪山や岩登りの経験もまったくなく、今以上の困難な山に登るには限界を感じていました。この殻を破り、さらに上の山(といっても夏山ですが)を目指すため知識・技術・経験を習得しようと、千葉から転勤で帰ってきた平成9年に入会しました。その時は夏山教室の存在を知らず(入会してから知りました)、会員の中の知人も1人しかいませんでした。

 入会後は、会のみんなと顔を合わせるため8月を除き毎月、市が原へ出かけました。そのとき知り合った、当時の自然保護部長Mさんとは、酒の上でも気が合い以後お世話になりました。入会早々には岩登りのトレーニングをやって剣岳へ連れて行ってもらいました。その時は季節はずれの雪で登頂できませんでしたが、紅葉の上に積もった雪景色は見ものでした。

 入会後の3~4年は、清掃ハイク(したがって納山会・新年会も)は皆勤でした。以後もよほどのことがない限り、清掃ハイクには参加し続けています。自然保護に関心を持つようになったのも、清掃ハイク参加→自然保護部入会→県連・全国との交流による触発といった成り行きもあったと思います。

 

M.F

 会に入って4年、夏山を受講した当時、今の私を想像していただろうか。

 10Kgに満たないザックを背負い、汗をながしながらフーフーいって登った六甲山。

 今は……10Kg以上のザックを背負い北アルプスまで行っている私。そして、夏山から始まり雪山・春山・スノーシュー・沢登りと未熟ながら体験してきた。物事も続ければ少しは形になってくるはずなのにまだまだ…。

 だんだんと体力が落ちていくのに、あの山もこの山も行きたい所がいっぱい!!!

 今となっては山登りが生活の一部となっている。一日でも長く楽しい山行が出来るよう頑張って行きたい。摩耶山友会との出会いから私の世界を広げてくれた先輩、仲間に感謝します。ありがとう、これからもよろしく…。